【リトル歴23年 / Y.T】
「かけがえのない場所」
私がリトルキャロルに所属したのは、2003年のことでした。
NHKの合唱団で10年間歌ってきた私は、卒団後、心にぽっかり穴が空いたようで、歌うことに飢えていました。当時流行っていた「ハモネプ」の影響もあり、早稲田大学のアカペラサークルに入って歌っていた時期もありました。
そんな中、同期の誘いでリトルキャロルに入らせてもらうことになり、気づけば今年でリトル歴23年になります。
人生の半分以上をリトルキャロルの仲間と過ごしてきた私にとって(合唱団時代も含めると、もっと長くなります!)、リトルキャロルは、人生においてなくてはならない、かけがえのない場所だと言っても過言ではありません。
振り返ればあっという間の23年でしたが、本当にいろいろな出来事がありました。
中でも、特に大きな出来事が3つあります。
1つ目は、アルトへの転身。
2011年、「サウンド・オブ・ミュージック」の頃、仕事で喉を潰してしまい、思うように声が出せなくなったことがありました。練習に行くことさえ苦痛になってしまった時期です。
泣きながら麻衣ちゃんに「もう辞めるしかないかもしれないです……」と相談すると、返ってきたのは「じゃあアルト行ったら?」という、あまりにもあっさりとした提案でした。笑
合唱団時代からずっとソプラノで歌ってきた私にとって、それは新たな挑戦。でも、実際に歌ってみると、「アルトなら出せる!」「アルトって楽しい!」と、再び歌う楽しさを取り戻していきました。
主旋律を引き立てながら、ハーモニーを下から重厚に支える、よく言えば縁の下の力持ち。それがアルトです。
アルトパートを口ずさんでいると、何の歌だか分からないと言われることもありますが笑、みんなで声を合わせたときに生まれるハーモニーが何とも心地よく、いつの間にかアルトが大好きになっていました。
2つ目は、大好きな仲間との別れ。
新型コロナウイルスが猛威を振るい、マスク必須、外出自粛、歌うなんてもってのほか!となってしまったあの頃。
オンラインでの練習が中心になり、「もうみんなと顔を合わせて歌えないんだ……。これから何を楽しみに生きていけばいいのだろう……」とまで思い詰めた時期がありました。
そんな中、ずっとアルトで隣に並んで歌ってくれていた、大好きな先輩Mちゃんの突然の訃報。
絶望感と悲しみでいっぱいになり、何をしていても涙があふれる日々でした。
でも、そんな私たちを、麻衣ちゃんが「ここで立ち止まっていてはいけない」と奮い立たせてくれました。Mちゃんもきっと、私たちがいつまでも悲しみに暮れていることは望んでいないはず……。そう思いながら、少しずつ前を向いていきました。
コロナが落ち着いてきた今でも、みんなと歌っていると、ふと、隣で笑い合ったり、優しく音を教えてくれたりしたMちゃんのことを思い出して、泣きそうになることがあります。
でも、Mちゃんはアルトの一員として、私たちのそばで……いや、私たちの中で、今も一緒に歌ってくれている。私はそう思っています。
そして3つ目は、まさに今の私。
リトルキャロル30周年コンサートを前に、私事ですが、なんと子どもを授かりました。
まさに青天の霹靂!「このタイミングで……!」と、受け入れるまでには少し時間がかかりました。
正直なところ、みんなと一緒に30周年コンサートに出演して、歌いたかったという思いでいっぱいです。
でも、きっとお腹の子も、このタイミングで来てくれたことに何か意味があるのだと思います。一緒に30周年をお祝いしたかったのかな?
人生って、本当に何があるか分かりません。
だからこそ、面白いのですね。今はそう思えるようになりました。
仕事で、恋愛で、子育てで……どんなに大変なときも、リトルキャロルはいつも私のそばにいてくれました。
歌える環境があること。
いつでも寄り添い、励ましてくれる仲間がいること。
これほど幸せなことがあるでしょうか。
これまでも、そしてこれからも、大好きな仲間と一緒に歌えること。それは私の人生の支えであり、誇りであり、何よりの願いです。
そして、そんな私たちを見守り、応援してくれる家族や友人、リトルキャロルの歌が好きだと言ってくださる皆さんにも、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。
今日は六本木アークヒルズにて、アークキッズコアの本番がありました。
息苦しくて、メンバーのみんなには心配をおかけしてしまいましたが、本番は最後まで精一杯踊りながら歌いきることができました。
娘と一緒に同じ舞台に立って歌うことができた喜びや、みんなと歌える幸せを噛み締めながら、涙を堪えるのに必死でした。
私は、こんなにも温かく響き合えるコーラスグループは、他にはないと自負しています。
一人ひとりの心が響き合い、同じ目標に向かって、一つの音楽をつくり上げていく。
このかけがえのない場所と、ここで紡がれる物語が、10年後も20年後も続いていきますように……。
今回のブログは30周年の特別企画につき、いつもいろいろやらかしてばかりのおもしろネタは、一切封印させていただきましたことをご了承ください。笑

(編集より)
おとぼけエピソード満載なことは今回はそっと伏せて、まじめにブログを書いてくれました(笑)
友を、仲間を、決して見捨てない義理堅い Y.T は、どんな話でもそっと寄り添うように受け止めてくれる存在です。
そんな Y.T がリトルにいる。それだけで、どんな時も私たちは前を向ける気がします。
【リトル歴23年 / S.L】
「休憩なしで30年?」
20歳の大学生だった私は、まさか人生の半分以上をリトルキャロルと共に歩むことになるとは思ってもいませんでした。
あの頃はただ歌うことが好きで仲間入りしただけでした。
社会人になり、転職を経験し、結婚し、子育てもして。たくさんの出会いと別れを経験しながら、人生は大きく変わりました。
でも不思議なことに、振り返るといつもその近くにはリトルキャロルがありました。
歌った曲は年々増えていくのに、思い出すのは曲名よりも、その時隣で歌っていた仲間の顔だったりします。
そして今。
リトルキャロルは30周年を迎えました。
30年という年月は長いけれど、私たちの物語はまだ途中です。
10年後。
リトルキャロルは40周年を迎えます。
その頃、私は何歳になっているでしょう。
今と同じように歌っているかもしれないし、 少し違う形で関わっているかもしれません。
でもひとつだけ願うことがあります。
それは10年後の未来でも、大好きで尊敬する仲間たちと、 変わらず歌を歌い続けていることです。
30周年はゴールではなく通過点。
未来の写真に写る私たちが、今日の私たち以上に幸せそうでありますように。
ここまできれいにまとめられたので、最後に昨日の練習のお話を少しだけ。
昨日は久しぶりに4時間練習をしました。
私は練習音源の録音係だったので、後から音源を聞き返していました。すると、改めておもったことがあります。
みんなよくしゃべる。
1曲歌い終わるたびに感想を言いはじめ、気づけば3分、5分と話し込んでるんです。
いつも「休憩なしでよくやるよ、私たち!」と自画自賛していますが、録音を聞き返していて、よーく分かりました。
いや、休憩しているじゃないか。しかも結構しっかりと。
曲間でしゃべって、しゃべって、またしゃべって。
どうやら私たちは、休憩時間を設けずに頑張っているのではなく、曲間のおしゃべりで上手に“休息”を取りながら練習していたようです。
たぶん休憩時間を設けたとしても、結局同じようにしゃべっているのでしょう。
だから私たちには、このスタイルがちょうどいいのだと思います。
10年後の未来でも、きっと同じように。

(編集より)
だれにでも分け隔てなく、まっすぐに接するS.L。
音源できこえてくる声は、たいてい彼女の声だったり(笑)
彼女の存在はいつも輪の真ん中にあります。
【リトル歴22年 / Y.M】
「歌がつないでくれた22年」
私がリトルキャロルと出会った大きなバックグラウンドは、幼稚園時代と児童合唱団時代のことなしでは語れませんので、少しだけ触れたいと思います。
合唱との出会いは幼稚園でした。
歌に力を入れている園だったこともあり、合同音楽祭に向けて毎日のように歌っていた記憶があります。
そのつながりの中で(旧)NHK東京放送児童合唱団の存在を知り、縁あって入団し、小学1年生から中学2年生までを過ごしました。
夏休みは練習のため、毎日のように渋谷へ通ったものでした。
(今ではちょっと考えられないですよね…小学生が一人で、時には夜まで!)
卒団後は8年間ほど合唱から離れていましたが、先にリトルキャロルに参加していた同期の親友の誘いで、2004年にリトルキャロルへ。途中2度ほどお休み期間を経て、今に至ります。
ブランク8年のリトルキャロル1年目は、イクスピアリで歌えるという素敵な本番当日に、見事に喉をつぶし(後にも先にもこの1度だけ!)、ピアノの譜めくりに徹したことは今でも鮮明に覚えています(笑)。
子どもの頃とは歌い方も違いますし、喉も体も使い方を忘れていて、無謀に歌っていた“つけ”がしっかり返ってきた瞬間でした。
あれから、もう22年。
この数字を見ると本当かなと疑いたくなりますが、振り返ってみると、ちゃんとその軌跡があるんです。
ライフステージが変わっても、そこにはずっとリトルキャロルがいてくれました。
自ら暗黒時代と称している、進路に迷いに迷っていたあの頃。
仕事に追われて、毎日深夜まで働いてしまう要領の悪さで自己嫌悪すぎたあの頃。
ホルモン(食べるほうじゃないですよ。笑)に負けて謎の絶望が突然襲ってくる日々。
遠回りしたり、迷ったり、もう逃げてしまいたくなったり。
あの時もっとこうしていたら、ああしていたらと無暗に悔んでしまうタチですが、その時の私は、その時なりに考えて選んだ最善の道を歩んできたからこそ、今の私があるのだとつくづく思います。
合唱どころじゃないのに、なぜか練習に行っていつも通り歌っていると、ずしーんと重かった心が信じられないくらい軽くなったり、涙が出てきたり。
児童合唱団時代からの同期が、無条件に私を仲間と認識してくれる。
そして、リトルキャロルのメンバーが、その輪の空気が、年の差やリトル歴を超えて、もう「みんなが仲間」なんです。
それは、メンバーそれぞれの物語があるなかで、どのページに行っても、リトルキャロルという共通の「しおり」を持っているような、不思議な次元ですし、30年の重みを感じざるを得ません。
歌に重きをおいた幼稚園に通えたこと、合唱団に入れたこと、リトルキャロルに誘ってもらえたこと、そして、私が歌うことを好きでい続けて、諦めなかったこと。
そのすべてが繋がっていて、その縁に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、コロナ禍で「集まって歌うこと自体が悪」とされていたあの時、私は本気で「もう歌えないかもしれない」と思いました。
リトルキャロルを1年お休みすることが、たとえ復帰できたとしてもどれほど大変かを、2度、出戻った私は痛いほど知っていたから。
あの時歌わない選択をしたら、もう3度目の復帰は難しい——そう思っていました。
でもその時、「辞めないほうがいい」と言ってくれた家族がいてくれた。
その一言が、私にもう一度歌う勇気をくれました。
いまもこうして歌えているのは、あの時支えてくれた家族のおかげだと思っています。
本当にありがとうと伝えたいです。
またきっと「歌ってる場合じゃない」瞬間は訪れるかもしれない。
それでも、おばあちゃんになっても、リトルキャロルの仲間と歌っていたいと思います。
30周年記念コンサート、ゲストの皆さまの2026年の締めくくりに、心に残る一ページを添えられたら幸いです!



【リトル歴20年 / M.I】
「みんなで歌う喜び」
リトルキャロルに入ったのは大学1年の頃、2006年の秋でした。なので、今年で20年になります。
入ったきっかけはN児時代の同期の誘いでした。どういった誘われかただったか、もうあまりよく覚えてないのですが、クリスマス曲を歌うグループでCDもレコーディングしたり、色々と活動があるから、一緒にやらない?みたいな感じだった気がします。
初めて練習の見学に行ったときは、CDのレコーディングも終えて既に仕上がってる状態だったので、皆さんすごい上手くて綺麗なハーモニーで、歌っている曲もどれも素敵だし、一緒に歌いたいなと思い、入らせてもらいました。
N児を卒団して、合唱から2年近く離れていたけど、この日一緒に歌ってみて、やっぱり合唱が好きなんだな、とその時思ったのを覚えています。
そこからその年の本番までは、初めての曲ばかりなのと、振り付けを覚えたりとで、大変でしたが、みんなで本番で歌う喜びと達成感を感じる事ができ、入って良かったなと感じました。
それからは、就職したり転機は色々とありました。
同期や妹も一緒に歌っていましたが
続けたくても色々な状況で続けるのが難しかったりして、今は一緒には歌えていないですが
それでも私が今も続けられてるのは
リトルキャロルでしか作れない音楽と、みんなとのハーモニーが好きだから
そして、リトルキャロルのみんなで歌うことが好きだから
だと思います。
あとは毎週の練習に協力してくれる家族のおかげだと日々感じています。
特にそう感じたのは、産前産後で2か月くらいお休みして、産後1か月くらいで練習に復帰したときです。
1か月くらい家に引きこもっていたので、久々に1人で外に出ること、そして、みんなで一緒に歌っているときに、あーみんなで歌うってやっぱいいわ〜幸せ〜と全身でひしひしと感じました。そして、戻る場所があるというのはとても幸せなことだなと感じました。
毎年いろんな楽曲に挑戦して、貴重な経験もたくさんさせてもらえて、恵まれた環境で歌えることは幸せなことです。
こんなことを言いつつ、課題出さなかったり、よく遅刻したりするので
クビにならないように、これからも頑張りますので、みなさんこれからもどうぞよろしくお願いします!笑
今年のコンサートはポーラーエクスプレスメドレーをします。
初めてリトルキャロルに入ったときにもやった思い出の曲です。
ですが、今回は新しいアレンジで、振り付けも新しくラッキィ先生方に付けて頂きます。
そしてフレンズやキッズも一緒に歌います。
進化を続けるリトルキャロルを是非聴きに来て下さいね。

(編集より)
20年もの間、一度も途切れることなく歩み続けてくれたその姿勢は、簡単に成し遂げられることではなく、本当に尊敬しています。 どんな時も自分のペースで、でも確かなリトル愛と共に歌い続けてくれるその存在が、いつも変わらずそこにいてくれる安心感となっていることはまちがいありません。
【リトル歴20年 / K.K】
「闘わない場所、温かい場所の大切さ」
こんにちは。
今年、約20年ぶりにリトルキャロルに舞い戻ってきました。
きっかけは、N児在団時代から、卒団してからもずっと本当のお姉さんのように慕っていた現役メンバーの方との、久しぶりの再会とお誘いでした。
ふと振り返ってみると、20年前、大学生だった頃に最後のコンサートに出演してから、もうそんなに時間が経っていたのかと、自分でもびっくりするほどの年月が流れていました。
そのお姉さんとの再会も、当時の思い出も、とにかく懐かしくて。
そして何より、まだ社会に出て「頑張らなくちゃ」「ちゃんとしなくちゃ」と闘う前の、何もできなくてもただ笑って過ごしていた頃の自分を知っている場所が、なんだかとても温かく感じられました。
「また、みんなに会いたいな。」
そんな気持ちが、リトルキャロルに戻るきっかけになりました。
実際に戻ってみると、そこには本当に変わらない皆さんがいて、あの頃と変わらない歌声があって。
そのことが、ただただ嬉しくて、幸せな気持ちになりました。
……とはいえ。
現実問題、びっくりするくらい歌が歌えなくなっている自分には、驚きと反省と……そして、ちょっぴり悲しさもありました。
現役時代は、歌うことが楽しくて、発声や暗譜にも、そこまで苦労した記憶がありません。
でも、久しぶりに歌ってみると、
「歌うって、こんなに難しかったっけ?」
呼吸をすること、声を出すこと、音程を合わせること、周りの声を聴くこと。
一つひとつが思っていた以上に難しくて、過去の自分をちょっとうらやましく思ったりもします。
それでも、伴奏が加わった瞬間に音楽が一気に広がっていくわくわく感や、みんなの歌声が少しずつ重なり合って、一つの音楽になっていく美しさ。
その瞬間をみんなと一緒に感じられることが、本当に幸せです。
歌えない自分に四苦八苦しながらも、そんな時間を楽しみながら、必死に練習する日々を過ごしています。
この20年、私は仕事において、どちらかというと「挑戦すること、何かと闘うこと」を繰り返してきたように思います。
より大きな責任を背負うこと。
難しい課題に向き合うこと。
新しいことに挑戦すること。
そして、自分は社会にどんな価値を生み出せているのだろう、と考え続けること。
もちろん、それはそれで、とても大切な時間でした。
でも、リトルキャロルに戻ってきて感じるのは、それとは少し違う時間の流れです。
誰かと比べて勝つためでもなく、誰かより上手になるためでもなく。
一人ひとりの個性を大切にしながら、それぞれができることを持ち寄って、たった一つの音楽をみんなで作り上げていく。
そこには、温かさがある一方で、音楽に対しては妥協しない、きちんとした厳しさもあります。
「闘わなくてもいい場所」なのに、なぜかまた一生懸命になれる。
そんな不思議で、温かい場所に、20年ぶりに帰ってくることができました。
社会に出てからの20年で、たくさんのものを得た一方で、いつの間にか置いてきてしまったものも、もしかしたらあったのかもしれません。
それを少しずつ拾い直すような気持ちで、今、みんなと一緒に歌っています。
20年前の自分とは、もちろん同じようには歌えません。
でも、今の自分だからこそ感じられる音楽や、今だからこそ出会える仲間との時間も、きっとあるのだと思います。
そう思うと、20年ぶりの「ただいま」は、なかなか悪くないものです。
……とはいえ、まずはちゃんと歌えるようにならなくては!
素敵な本番を迎えられるように、これからも一つひとつ、丁寧に歌っていきたいと思います。
そして、こんな私を温かく迎えてくださったリトルキャロルの皆さんに、改めて感謝を込めて。
本番で、皆さまと一緒に歌えることを楽しみにしています♪

(編集より)
20年ぶりに復帰すること、それは、決して簡単なことではないのに、こうして帰ってきてくれたことに、まずは心からのおかえりなさいを伝えたいです。
いま大変なことも多いと思いますが、また一緒に歌えることが本当に嬉しくて、K.K が戻ってきてくれたこと自体が、もうリトルにとって大きな力になっています。
【リトル歴16年 / C.K】
「わたしの光」
・出会い
2010年の夏、私と姉は、六本木にある練習場の扉をはじめて開けました。
あの重厚な扉の重み、30名ほどのメンバーが揃った光景を、今でも記憶しているのは、当時の心境もあったのだと思います。
現NHK東京児童合唱団出身のメンバーのなか、卒団生ではない私たち。
幼い頃から、童謡や讃美歌を歌い、音楽好きの母の影響で、自然と音楽に囲まれた環境で育ち、歌を本格的に学ぶ道に進むなかで、色々なご縁に恵まれ、気づけばリトルキャロルに加入することになりました。
当時は想像もしなかった30周年、この場をお借りして少し振り返りたいと思います。
・2010年の冬
入団当時、私は、まだ学生ということもあり、学業と将来の展望、リトルに加えて、もう一つ在籍する合唱を行き来する、目まぐるしい日々を過ごしていました。
夏の長岡コンサートを終えてまもなく、入団と同時に、4ヶ月後に控える紀尾井本番に向けて、これまで積み上げられたリトルのナンバーと振付を全て取り込むことになりました。
当時より、不安を抱えていたことは、歌声と気持ちを合わせること、そして自分達を受け入れてもらえるのか、という思いでした。これまで積み上げられたリトルのサウンドを壊さぬように歌うことが一番緊張しました。
それでも、不思議なことに、初めてリトルと声を合わせた時、自然と寄り添いたくなる、懐かしい気持ちになる感覚が強かったので、これまで歌った歌い方との良い調子を模索して、とにかく迷うことなくしがみつくように本番に臨みました。夜遅くまで、姉と振付を何度も繰り返し確認したのも良い思い出です。
そして迎えた本番、クリスマス曲の数々、大好きな曲の一つ「We Are the World」を歌ったときの舞台からの光景、涙と笑顔がはじめて同時に溢れる感情になったこと、リトルの作り上げる音楽、歌声が好きだと確信したこと、ピタッとパズルのピースがハマるような感覚で、不安よりも、ここで歌うことのできる実感と喜びを感じました。
・︎2019年の冬
入団後も、今と変わらず毎週練習を重ね、毎年さまざまな舞台に向けて取り組み、それぞれのライフイベントに伴うメンバーの入れ替わりもあるなか、常に同じ方向を向いて、前に進む姿勢のまま、ひたすら歩みつづけてきました。メンバーとのたわいのない会話を含めると、語り尽くせないほどの長い時間をともに過ごしました。
その中でも、ある3年間は、私にとって転機となる思い入れ深い年です。
その理由の一つは、大切な人とのお別れでした。
はやくに父を亡くしてから、これまで家族を支えてくれた祖父、これまで本番に足を運ぶことがなかった祖父が、自ら観にきてくれたのが2019年の紀尾井公演でした。最初で最後となりましたが、祖父に姉妹そろって、リトルキャロルの歌を届けることが叶ったのは本当によかったです。
翌年はコロナ禍、個人的に言葉を並べることも、気持ちの整理もつきませんでしたが、大切な仲間への想い、各々自分の心と向き合いながら臨んだ2021年のステージ、アルバムのリリースを通して、みんなの気持ちが少しずつ溢れ、涙したことは忘れられません。
あの時、そっとみんなの心を寄せられる場所を作ってくださった麻衣さんの優しさに、今も心から感謝の気持ちでいっぱいです。
・2026年、結成30周年
リトルとともに歩んできた16年間。
わたしの歌う意味、リトルキャロルで歌う意味を自分に問うこともありました。
それでも、共に練習を重ねた年月や、信頼できる大切なメンバーとの絆は、私の誇りであり、自分が帰れる場所、それが私にとってリトルキャロルなのだと、この3年間を通して、改めて強く思いました。16年前、私たち姉妹を迎え入れてくださりありがとうございました。
これまでも、これからも活動を継続できるのは、本当に多くの方々の支えと、メンバー一人ひとりの自立した姿勢があるからに他なりません。自身のライフワークとしなやかに向き合うメンバーの姿を、私は一人の女性としても本当に尊敬しています。
そして、常にリトルの中心で光を照らし続けてくれる先輩方に、心から感謝しています。
これからも、リトルキャロルの一員として、どのように貢献していけるかを問い続けながら、30周年コンサートでは、心を込めて歌いたいと思います。

(編集より)
長い年月をかけて丁寧に歩みを重ね、いつも周りへの細やかな気遣いを忘れない C.K。
その揺るぎない支えは、感謝してもしきれないほど、今のリトルキャロルを大きく支えてくれています。
S.K、C.K姉妹へ
幼い頃からそれぞれ違う歌のルーツを持つお二人が、気づけば現役時代よりずっと長い時間を共に重ねてくれたこと、その絆はもう私たちの枠を越えた大切な宝物です。
【リトル歴16年 / S.K】
「リトルがくれた勇気」
私が初めてリトルのメンバーと一緒に歌ったのは、2010年長岡で行われたサマーコンサート♪
私はリトルのメンバーでは数少ないN児卒ではないメンバーです。
幼少期に合唱団には所属してはいませんでしたが、幼稚園から讃美歌や宗教曲に触れる機会が多く、声楽を専門に学んでいた事、ミュージカルやジブリ作品が好きだったことなど、色々なご縁が重なりリトルキャロルで歌わせていただいています。
なので、入った当時は声の出し方、合わせ方、練習の仕方、楽屋での過ごし方(笑)…どれをとっても私にとっては異色で、メンバー同士でN児の頃の昔話が始まるとすごく楽しそうで、一気に子供のような表情になったり、イジったり(笑)、メンバーのきっと今まであったであろう当たり前の楽しそうな雰囲気を壊したくなくて、実は姉妹ですごく様子を伺ってました(笑)
今でこそ普通なのですが、メンバー同士を〇〇ちゃん、と下の名前に「ちゃん」をつけて呼ぶことにも戸惑ってました(笑)
そんな私ですが、リトルキャロルに入った20代当時は、個人的なことで、ちょっとやそっとの努力では出来ない事だらけの連続と、そんな中で評価されてしまう緊張とで、すっかり心が折れてしまっていて、もう人前で歌う事も辛かった時期。
今思えば、努力が足りたいのひと言に尽きるのですが、当時は本当に先が見えなくて、もう歌なんてやめてしまおうか。。と何度も思った、そんな頃に出会ったのがリトルキャロル。練習や本番を通して、何度もメンバーの楽しそうな温かい笑い声や歌声に触れるうちに、歌ってやっぱり好きだな、リトルの歌声が好きだな、続けたいな、と思って今があります。
今は毎日子育てに奮闘する日々ですが、そんな中でも、歌の表現の仕方や、年齢に合わせた身体の使い方など新しい発見があり、年々進化していくリトル(笑)で歌と向き合える時間がすごく幸せです。
いつも一緒に歌ってくれるメンバー、そしていつも支えてくれる家族には感謝の気持ちでいっぱいです。
ここ数年で特に表現の幅がぐっと広がってきているような気がするので、自分もメンバーとして、その役割がしっかり果たせるよう歌っていきたいです。
30周年、楽しみにしていてください!!


(編集より)
年月を重ねても変わらぬ品と穏やかさで、そっと場に寄り添いながら空気を整えてくれる S.K。
その柔らかな存在感は、歩みを重ねてくれた時間とともに、今ではリトルキャロルを静かに支える大切な彩りになっています。
【リトル歴16年 / A.K】
「すれ違いの先にあった『歌う喜び』」
未就学の頃、歌って踊るのが好きだった私は、家ではうるさいといつも厄介者扱いされていた。
小学生になると「ずっと歌っていられる場所に興味はないか」という誘いで東京放送児童合唱団(現在のNHK東京児童合唱団)に入団することになった。
リトルキャロルができた1996年はまだ小学生だった。小学生だった私ができたばかりの卒団生の団体を知る由もなかった。
中学生になると、隣の席だった3つ上の先輩はいつも笑わせてくれる面白い先輩で仲良くなった。
高校生になると、卒団したその先輩が卒団生の合唱団に入ったと教えてくれた。今考えるとその時初めてリトルキャロルという団体を知ったはずだが、当時は親しんでいた先輩がいる卒団生の合唱団としか記憶しなかった。そして大学生になったらその先輩に相談しようと思っていた。
大学生になると、勉強とアルバイトに忙しく、また歌いたいと思いながら、目の前のことに精一杯になっていた。1つ上の先輩がある卒団生の合唱団に誘ってくれたが、それがちょうどテスト期間中だったこともあり、無下に断ってしまった。実はそれもリトルキャロルだった。
大学在学中にはリトルキャロルの物販の手伝いをしたこともある。既にN児の後輩も入団していて、舞台を成功させたメンバーは輝いていた。合唱から離れて何年も経った自分がそこに戻ることは無いだろうと感じた。
大学院生になると、2つ下の後輩がリトルキャロルに誘ってくれた。レコーディングをきっかけに大幅増員するという知らせだった。自分のペースで研究できるようになっていたため、その時はブランクを気にしながらも研究に支障をきたさない範囲でと慎重に参加することにした。こうして何度もリトルキャロルとすれ違っていながら、とうとう一員として歌うことになった。
ところが入団後、思っていた社会人サークルと違い、リトルキャロルに対するメンバーの思い入れがとても強くて、自分にはついていけないかもしれない、と辞めてしまった。初参加から半年も経たない頃だった。しかし、そんな薄情な私に対し、振付をする日に手伝いに来てほしいと声がかかった。ちょうど就職活動も恋愛もうまくいかなくて、自分の居場所がないような気持ちの時期だった。何ができるかわからず不安を抱えたまま、呼ばれるがまま練習に向かった。結局、練習ではどう役立てたかは覚えていない。けれど気さくに近況を聞いてくれる先輩たちに、なにもかもうまくいかずに自信を失っていることを打ち明けた。「じゃあ一緒に歌おうよ」そう言ってもらって、自分の薄情さを棚に上げて、リトルキャロルに戻してもらうことになった。本番まであと2ヶ月という時期だった。そしてリトルキャロルとして初めてコンサートに参加した。2010年マイケルジャクソンメドレーを演奏した年だった。
それでも、社会人サークルとしてリトルキャロルと一定の距離で付き合っていたいと思っていた私は2013年に夫の海外赴任と出産を機に一旦休団した。子育てが一段落するまで帰らないつもりであった。ところが、「次のコンサートがリトルキャロル最後のコンサートになる。せっかくだから一緒に歌おう」と声がかかった。2014年のことだ。その年は夫より先に日本に帰国、復職、第2子を出産し、赴任や出産で延期になっていた結婚式を挙げる予定があった。しかも夫が帰国するまでは実家のサポートを受けられるとはいえひとり親状態だ。親に年子の赤子の世話をお願いして練習に参加することは許してもらえなかった。自分が休んでいる間に進む練習、開く実力差に焦りを感じ、練習への参加を許されないことにもどかしさを感じた。秋になって夫が帰国すると、1番にリトルキャロルの復帰をお願いした。それからはどんなに暗い曲だろうと本番で歌う曲で子守をした。2014年レ・ミゼラブルを演奏した年だった。なんとかやり切ったが、リトルキャロル統括の麻衣ちゃんからコンサートの後に衝撃の一言。「来年もやりまーす!」家族会議の必要があった。
育児が本格的に始まると、自分のやりたいことを自分のペースでできない生活に鬱憤が溜まった。その中で家事でも育児でも仕事でもなく、間違いなくリトルキャロルは自分の「やりたいこと」だった。夫に続けてもいいか相談したところ「あなたの生きがいだから」とあっさり認めてもらった。にもかかわらず、当時は生きがいなんて大それたもんじゃないと思いながら、それで夫が納得してくれるならそういうことにしておこうと思った。
その頃、リトルキャロルは結婚ブームに次ぐベビーブームが起きていた。結婚や出産を機に辞めてしまうメンバーもいる中、戻るための努力をするメンバーもいた。当時、休んだ人のフォローはパート内で解決するように言われていたが、先に子供を産み、自分の都合で練習に参加できないつらさを知っている立場として、「休んだ分これだけやってきて」という思いでパートのグループラインに鬼連絡した時期もあった。テキストメッセージ、譜面の画像、練習音源。気付けばそうやって助け合って、今や大半のメンバーが子持ちだ。
20代のころはリトルキャロルの紹介に書かれている「歌う喜び」はただのきれいな言葉のように感じていた。しかし、育児やコロナ禍を経て、この言葉がしみじみと自分の中に染みわたってきた。歌う場所を作ってくれた創設メンバーに感謝し、歌う時間を作ってくれる家族やそれをサポートしてくれる周りの人々に感謝し、コンサートで足を運んでくださる皆さんに感謝し、そして何より初めにこの縁を作ってくれた親と東京放送児童合唱団に感謝する毎日だ。このたくさんの感謝を一言で表したのが「歌う喜び」だ。そして今ではリトルキャロルは間違いなく私の生きがいだ。

(編集より)
状況を整理し、進むべき方向を示してくれる A.K に、リトルキャロルはいつも助けられています。
彼女の献身的な働きかけが、気づけばみんなを前へ進めてくれています。
今年はリトルキャロル結成30周年という、特別なアニバーサリーイヤーです。 30年という歴史をあらためて振り返ると、自然と「ここまでの歩み」を語りたくなります。
そこで本番(12/27)までの期間、メンバーひとりひとりが、これまでどんなふうにリトルキャロルと歩んできたのか、普段はなかなか聞けない想いやエピソードをブログで紹介していきたいと思います!
第一走者は、リトルキャロルいちばんの若手メンバーです。
【リトル歴10年 / Y.M】
「わたしのプライド」
私がリトルキャロルに入ったのは、2016年20周年のとき。今からちょうど10年前になります。
リトルキャロルのメンバーの多くは、現NHK東京児童合唱団(通称「N児」)の卒団生で、私もその一人です。
N児に在団していた頃から、もちろんリトルの存在は知っていました。当時、六本木ヒルズで開催されていたクリスマスステージを毎年楽しみにしていて、そこで聴く美しいハーモニーに、いつも心を奪われていました。まさか自分がそのステージに立つことになるなんて、その頃は夢にも思っていませんでした。
そんな私が、いろいろなご縁に恵まれて、憧れだったリトルキャロルに参加することになりました。
初めての本番は、とにかく必死!リトルのいわゆる十八番ともいえるクリスマス曲についていくのに精一杯。N児時代の同期もいない中、すでに20年の歴史がある場所に一人で飛び込むことへの不安もありましたが、それを気にする余裕がないくらい、英語の歌詞や振付に目を回していました。
それから10年の間に、私自身にも、結婚や出産など、いろいろなライフイベントがありました。
その中でも大きな転機になったのは、母が亡くなったことです。
あまりにも突然のことで、ただただ大きな喪失感に苛まれていました。もう何もかもどうでもいい。そんなふうに感じる日々が続きました。
リトルについても、母が喜んでくれていたことが、私にとって原動力になっていた部分がありました。
「もう、やめちゃおうかな」
そう思ったこともあります。
それでも、人生は続いていく。
気がつけば、四十九日を迎える前には、私は練習に参加していました。
その後、2年間ほど東京を離れていた時期もありましたが、気がつけば新幹線で練習場に通っていました。
そのとき、ふと思ったんです。
「ああ、私、リトルが大好きなんだな」と。
母が喜んでくれるからでも、昔からの憧れだったからでもなく、誰かのためでもなく。
改めて、私自身が大好きで、夢中になっているんだと気がつきました。
長く続けてきた「合唱」というものに対する自分の向き合い方も、そこから少し変わったように思います。
今は、週末のリトル時間を楽しみにしながら、仕事と子育てに奮闘する毎日です。
社会の中で与えられているいろいろな肩書きをいったん全部取っ払って、一人の人間として、夢中になれるものがある。
それは、私にとって大きな誇りです。
そして、そんな時間と場所を持ち続けられていることは、決して当たり前ではなく、奇跡に近いことなのかもしれません。
一緒に歌っているメンバー、そしていつも支えてくれる家族に、感謝の気持ちでいっぱいです。
そんなたくさんの「ありがとう」を胸に、30周年コンサートに臨みたいと思います!

(編集より)
Y.M は若手ながらリトル歴10年。
明るい笑顔と変わらないピュアさで、いつも周囲を和ませてくれます。
練習前後の連絡なども率先して動いてくれる、頼もしい存在です!
2026年がスタートいたしました。
今年はリトルキャロルにとってスペシャルな年!
結成30周年を迎えます。
あらためて振り返りますと、30年という年月は本当に大きな歩みであり、支えてくださった皆さまに支えられていることを、心から感じております。
これからもブログやSNSを通じて活動の様子をお届けしてまいりますので、時折のぞいていただけましたら嬉しく思います。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします!